司祭の紹介

主任司祭
アジット・ロドリゲス 神父
主 任 司 祭

アジット・ロドリゲス 神父
Fr. Ajit Rodrigues, OFM Cap.


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主任司祭メッセージ

変化へんか自分じぶん内側うちがわからはじまる

カプチンかい司祭しさいのおはなしをしたいとおもいます。

皆様みなさまよくごぞんじかとおもいますが、ラニエーロ・カンタラメッサ枢機卿すうききょう(Fr. Raniero Cantalamessa, OFM Cap.)がいま、バチカンで教皇様きょうこうさま枢機卿すうききょう説教せっきょうおよび黙想会もくそうかいおこなっております。この神父様しんぷさまのおはなしはとてもふかく、わかりやすいものです。

 ある、カンタラメッサ枢機卿すうききょうが、黙想会もくそうかい終了後しゅうりょうごバチカンから自分じぶん修道院しゅうどういんもどられたとき、カプチンかいの同じ仲間なかま司祭しさいから、「あなたは、バチカンで枢機卿すうききょう説教せっきょうをなさっておりますが、あまり回心かいしんしたようにはおもえませんね。」とわれました。カンタラメッサ枢機卿すうききょうはこうこたえました。「わたしながあいだそうおもっていました。いくら準備じゅんびして説教せっきょうをしてもだれも変わらないと。でも、いまはそうおもいません。今は自分じぶんわるために説教せっきょう準備じゅんびしています。自分じぶん自身じしん説教せっきょうをしています。わたし自身じしんえたいとおもっています。」とこたえました。

 アシシのせいフランシスコもカンタラメッサ枢機卿すうききょうおなじように、神様かみさまより教会きょうかいてなおすようにといわれたとき外側そとがわ建物たてもののことだとおもって、みんなといしあつめて教会きょうかいをなおしました。しかし、のちに建物たてもののことではなく、ひとこころ神様かみさまかうようになおしていくことだとかんじました。それには、まず、自分じぶん自身じしん神様かみさまかわなければ、ひとこころ神様かみさまかうようになおすことはできないとづきました。

 自分じぶん以外いがいひとえるのではなく、自分じぶん自身じしんわること。これがすべての模範もはんとなることだとおもいます。

現在げんざいなかにおいて、神様かみさまもとめるひとはたくさんいるとおもいます。しかし、現実げんじつ若者わかもの教会きょうかいばなれ、あたらしい信徒しんとえない、召命しょうめいすくない、教会きょうかい魅力みりょくがなくなっている、ということがきています。これはどういうことなんでしょうか?

 わたしからみると、教会きょうかいないにおいて、自分じぶん自身じしんえるための模範もはんとなるモデルがえたら、いま状況じょうきょう一歩いっぽでも前進前進させることができるのではないでしょうか。自分じぶんそとではなくうちえることが大事だいじだとおもいます。

ナイジェリアの枢機卿様すうききょうさまは、なぜわかひと司祭しさい、シスターになるひとすくなないのか?自問じもんをしていました。子供こどもすくないのがおも理由りゆうかとおもっていました。しかし、マザーテレサの修道院しゅうどういんったとき、マザーに「なぜ、教会きょうかい司祭しさいやシスターになるひとすくないのでしょうか?」と質問しつもんしたところ、マザーは「わたし修道会しゅうどういんではそういうことはありません、むしろシスターの志願者しがんしゃはたくさんおります。」との返事へんじでした。これに枢機卿すうききょうさまおどろき、「これはどういうことだろう?」とそのときはわけがわからなかった。バチカンにかえったのちにマザーテレサのった言葉ことばわたし修道会しゅうどういんではそういうことはありません。むしろ、シスターの志願者しがんしゃはたくさんおります。」の意味いみがつきました。調しらべてみると、マザーテレサの修道会しゅうどうかいは108の国にひろがっていました。それはやはり、マザーテレサがキリストの模範もはんとしてモデルケースとしてそこにいたから、みながそこにあこがれたから志願者しがんしゃえていったのだと枢機卿様すうききょうさまづいたのでした。

マザー自身じしんも、自分じぶん修道院しゅうどういんからでて、自分じぶん自身じしんをかえることでキリストとともにあゆみ、みな模範もはんとなりました。わたしたちもできるだけ、自分じぶんえていけば模範もはんになることができるとおもいます。


ラニエーロ・カンタラメッサ枢機卿すうききょう(Fr. Raniero Cantalamessa, OFM Cap.): 1934年7月22日にまれました。イタリアのカプチン・フランシスコ修道会しゅうどうかい司祭しさいであり、神学者しんがくしゃです。1980年に教皇きょうこうヨハネ・パウロ2によって教皇きょうこう公邸かんてい(Papal Household)の説教師せっきょうし任命にんめいされました。公式ウェブサイト

マザー・テレサ(Mother Teresa): 1910年に現在げんざいのマケドニア・スコピエまれました。学校がっこう教育きょういくおこな女子じょし修道会しゅうどうかい入会にゅうかいしました。インド・コルカタで教員きょういんをするなか同地どうちのよりまずしい人々ひとびとはたらびかけをけ、こうした活動かつどう専心せんしんするようになりました。1950年に「かみあい宣教者せんきょうしゃかい(Missionaries of Charity)」を創設そうせつし、長年ながねんもっと過酷かこくまずしい人々ひとびとのために世界中せかいじゅうはたらき、その後継者こうけいしゃたちをそだててきました。 1997年にくなったのち、2003年に福者ふくしゃ、2016年には聖人せいじんれっせられました。公式ウェブサイト

変化自分内側からまる

アジット・ロドリゲス 神父
Fr. Ajit Rodrigues, OFM Cap.

カプチン会の司祭のお話をしたいと思います。

皆様よくご存じかと思いますが、ラニエーロ・カンタラメッサ枢機卿(Fr. Raniero Cantalamessa, OFM Cap.)が今、バチカンで教皇様、枢機卿に説教および黙想会を行っております。この神父様のお話はとても深く、わかりやすいものです。

鳥と聖家族
鳥と聖家族

 ある日、カンタラメッサ枢機卿が、黙想会終了後バチカンから自分の修道院に戻られたとき、カプチン会の同じ仲間の司祭から、「あなたは、バチカンで枢機卿に説教をなさっておりますが、あまり回心したようには思えませんね。」と言われました。カンタラメッサ枢機卿はこう答えました。「私も長い間そう思っていました。いくら準備して説教をしても誰も変わらないと。でも、今はそう思いません。今は自分が変わるために説教を準備しています。自分自身に説教をしています。私自身を変えたいと思っています。」と答えました。

 アシシの聖フランシスコもカンタラメッサ枢機卿と同じように、神様より教会を立てなおすようにといわれた時、外側の建物のことだと思って、みんなと石を集めて教会をなおしました。しかし、のちに建物のことではなく、人の心が神様に向かうように立て直していくことだと感じました。それには、まず、自分自身が神様に向かわなければ、人の心が神様に向かうように立て直すことはできないと気づきました。

 自分以外の人を変えるのではなく、自分自身が変わること。これがすべての模範となることだと思います。

現在、世の中において、神様を求める人はたくさんいると思います。しかし、現実は若者の教会離れ、新しい信徒が増えない、召命も少ない、教会に魅力がなくなっている、ということが起きています。これはどういうことなんでしょうか?

 私からみると、教会内において、自分自身を変えるための模範となるモデルが増えたら、今の状況を一歩でも前進させることができるのではないでしょうか。自分の外ではなく内を変えることが大事だと思います。

ナイジェリアの枢機卿様は、なぜ若い人が司祭、シスターになる人が少ないのか?自問をしていました。子供が少ないのが主な理由かと思っていました。しかし、マザーテレサの修道院に行ったとき、マザーに「なぜ、教会に司祭やシスターになる人が少ないのでしょうか?」と質問したところ、マザーは「私の修道会ではそういうことはありません、むしろシスターの志願者はたくさんおります。」との返事でした。これに枢機卿様は驚き、「これはどういうことだろう?」とその時はわけがわからなかった。バチカンに帰ったのちにマザーテレサの言った言葉「私の修道会ではそういうことはありません。むしろ、シスターの志願者はたくさんおります。」の意味に気がつきました。調べてみると、マザーテレサの修道会は108の国に広がっていました。それはやはり、マザーテレサがキリストの模範としてモデルケースとしてそこにいたから、皆がそこにあこがれたから志願者が増えていったのだと枢機卿様が気づいたのでした。

マザー自身も、自分の修道院からでて、自分自身をかえることでキリストとともに歩み、皆の模範となりました。私たちもできるだけ、自分を変えていけば模範になることができると思います。


ラニエーロ・カンタラメッサ枢機卿(Fr. Raniero Cantalamessa, OFM Cap.):1934年7月22日に生まれました。イタリアのカプチン・フランシスコ修道会の司祭であり、神学者です。1980年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって教皇公邸(Papal Household)の説教師に任命されました。公式ウェブサイト

マザー・テレサ(Mother Teresa):1910年に現在のマケドニア・スコピエ生まれました。学校教育を行う女子修道会に入会しました。インド・コルカタで教員をする中、同地のより貧しい人々と働く呼びかけを受け、こうした活動に専心するようになりました。1950年に「神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)」を創設し、長年、最も過酷で貧しい人々のために世界中で働き、その後継者たちを育ててきました。 1997年に亡くなったのち、2003年に福者、2016年には聖人に列せられました。公式ウェブサイト

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